2009年10月4日日曜日

土屋ゼミ修士太田 修了制作へ向けて

修了制作へ向けて、プランとともに場所決めもしなければならないので、このブログに候補地やラフスケッチ、コンセプトや方向性を随時アップしていきます。
僕は風景をテーマに研究を進めてきた。その中でも、特に(自分の中の原風景でもある)郊外の類型化された風景を「私の風景」として愛するためにはどうしたら良いか?という疑問にフォーカスをあてて考えていた。
類型化された風景のスケッチや郊外風景の中を歩いて旅する事で、風景とはその風景を物理的に変えてしまうことではなくて、そこと対峙する我々の感情によって、記憶や気分の受け皿としての「私の風景」になるのだという結論を打ち出した。

そして、修了制作では今度はそれを表現としてどう落とし込むか、という問題になる。そのためのキーワードや展示場所、アイデア等々を以下に綴ります。


先生との話から出てきたキーワードの話。



・風景→同じ風景、日常なのに、違うものに感じる。それは我々側の立ち位置の問題。



・見ているようで見ていない部分の再発見。


・建築と絡んで、建築を遊ぶような回答。ex. 西野達のような。既存の建築要素(例えば壁)を家具という別の要素に読み替える。




・建築の「部分」にフォーカスをあてる。











・そこの風景を「どう見るか」。


・切り取られた「絵」としての風景を扱う。窓との違いは?


・風景との(自分の)距離


・日常的な風景・空間の、見慣れた、見慣れたからこそ気づかなかった魅力の再発見。


・新たな価値観を見出せるような仮説空間。ex. ダニーカラヴァン、中瀬康志




・大学という特殊な空間で何にフォーカスを当てるか?


・開けた風景を見せて違うものに感じさせるか?


・切り取られた部分にピンポイントにフォーカスをあてて違う意味を与えるか?


・イメージスケッチ&場所
その1
西野的方向
・大学構内の建築の「部分」にフォーカスをあて、普段見ているようで見ていない場所の見せ方をする。
・同じいつも見ている物のはずなのに、違う物に見えてしまう。








・構内の古い建築物の外壁にある修復した跡を囲って抽象絵画の様に。
・問題点として、壁を壁のまま見せても普通である。壁を別の家具の様にしなければ面白さが少し浅い。
ex. ひさしを机のように.....。
・ただ、それだと西達っぽすぎる。また、規模として西野を超えるのが難しい。

その2
例えばこんなアイデアの場合







建築物の窓のひさしを机として.....。西野っぽすぎますね。


その3
もう一つのアイデア。



一号館にあるこんな吹き抜け。井口が卒制で使った場所のすぐ近くです。



上から見るとこんな感じ。

そこに風景を見る装置を。



吹き抜け部分はこんなイメージ。二階の廊下の窓から出て階段を上る感じです。



上にはこんな装置が.....。

こっちは、ダニーや中瀬作品のように、切り取られた奥の風景を見る装置です。そこに行き着くプロセスとして廊下の窓から出て仮設の階段を上って見に行く。

ただ、今のこのアイデアで問題なのは、ダニーや中瀬さんのようにその場所の文脈と作品を設置する上で持ち込まれる文脈等々がいまいちはっきりせず、単なる展望台のデザインのように思えます。

まだしぼれていない気がしますが、ピンポイントに建築の部分に注目して意味を組み替える方向だとどうにも西野を超えられないので、切り取られたその先の風景を見る装置のアイデアの方が有力でしょうか.....。

まだまだ思案とスタディが必要です。

その4
イメージスケッチとしてはこんな感じです。



囲われた空間の奥には切り取られた現実の風景が。壁や天井などにパースをつける事で距離に気づかせる。



この空間は屋上にあって、ムサビの先の住宅街を見せる。そこへのアプローチは、



この建築の吹き抜けから仮設の足場を上って行く。既存の橋のような通路を巻き込みながら。

その5
装置の中(人と風景の間)に水面を配置!!

水面の揺らぎで風景との距離感が意識される?

空が!水が!風景が!!

今の自分にとっての問題意識としては、場所の必然性が薄い、というところです。

場所の必然性として一つ思っているのが、この屋上の箱が僕の実家の方向を向いている、ということです。

う〜ん.....。段々と自分一人では判断がつかなくなってきました.....。仮にこれでいくとすれば、許可をとるために相当大変だろうな.....。がんばらねば。

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